【第41回】陰陽師が使った? 古代のおまじないグッズ 俵田遺跡
2018年5月1日
陰陽師といえば、冬季オリンピックでの羽生結弦選手のフリープログラムや、野村萬斎さん主演の映画を思い浮かべる方も多いでしょう。実は山形でも、かつて陰陽師が活躍した記録が残っています。
平安時代、出羽国は鳥海山の噴火や嘉祥三年(850)の大地震など、度重なる災害などにより人心が動揺していました。『日本文徳天皇実録』という書物によれば、朝廷は大地震の翌年に出羽国に陰陽師を派遣し、反乱や自然災害の要因を占わせています。その結果、鳥海山の大物忌神の怒りのためであると判明したため、厚く敬うよう命じました。
陰陽師はいわば公務員で活動の本拠地は当時の役所である城輪柵周辺でした。酒田市(旧八幡町)岡島田にある9世紀半ばの俵田遺跡からは人面が描かれた甕と木製の人形・馬形が大量に発見されています。これらは当時の中央の都でも使用された最先端のおまじないグッズで、陰陽師の活躍した時代ともぴったりあう興味深い考古学資料です。
俵田遺跡から出土した人面墨書土器と木製の人形
(『大地に刻まれた山形の歴史』)より
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【文・写真】
山形大学基盤教育院 准教授 荒木 志伸氏