【第69回】芭蕉、一茶、子規が目指した象潟

2020年9月1日

象潟は昔、大小百前後の島を浮かべた文字どおりの潟(入り江)で、平安時代から和歌に詠まれてきた景勝地でありました。三大歌集の一つ「新古今和歌集」にも象潟を詠んだ歌が登場します。

松尾芭蕉の「おくのほそ道」の旅は歌に詠まれてきた名所(歌枕)を訪ねる旅であり、中でも敬愛する漂泊の歌人・能因や西行が歌に詠んだとされる象潟は目的地の一つでした。芭蕉が旅に出た1689年は西行の五百年忌に当たっています。

芭蕉が「おくのほそ道」で、名文と名句によって象潟を紹介すると、今度は芭蕉の足跡をたどって多くの文人たちが訪れるようになりました。中でも有名なのが小林一茶です。芭蕉が訪れたちょうど百年後の1789年に象潟を訪れています。

1804年に象潟は地震で陸になりましたが、それでも象潟を訪れる文人たちが絶えることはありませんでした。芭蕉二百年忌に当たる1893年には正岡子規が象潟を訪れました。子規は象潟からさらに北上し、八郎潟まで足を伸ばしています。当時まだ潟であった八郎潟に象潟の面影を求めたのかもしれません。その後、大曲駅前の旅館から親友の夏目漱石にはがきを書いており、そのはがきには象潟を詠んだ句を添えています。

現在、水田に浮かぶ島々には、鳥海山の噴火や地震のジオの記録だけでなく、文人たちの想いやエピソードをも秘めているのです。



にかほ市教育委員会 教育次長 齋藤 一樹 氏

【文・写真】
にかほ市教育委員会 教育次長 齋藤 一樹 氏

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