鳥海山・飛島ジオパークでは、全体テーマを「日本海と大地がつくる水と命の循環」とし、サブテーマを「暖流・活火山・湧水がおりなす自然と暮らし」としています。また、5つのエリアごとにもテーマを設定し、全体としてジオ・自然・文化にわたる地域の特徴をわかりやすくしました。
鳥海山と飛島の成り立ち
今から約1500万年前、大陸の一部が切り離された陸地が、あたかも観音開きの扉のように回転し、日本列島の原型と日本海ができました。約500万年前頃から太平洋側から強く押されるようになった東北日本は、地盤の隆起が顕著になり、約300万年前頃には出羽山地が形成されました。約1000万年前頃に起きた海底火山の噴出物が隆起して陸化し、飛島が形成されたのもこの頃とされています。
およそ60万年前頃になると、出羽山地の上で鳥海山が成長を始めました。主に溶岩流を積み上げることで成長を続けた鳥海山は、成長の途中でしばしば大きく崩れ、山麓に特徴的な地形を造り出しました。
そんな鳥海山には、冬、対馬暖流からたっぷり水蒸気をもらった季節風がぶつかるため、大量の雪や雨が降ります。その雪や雨が地下に浸透し、鳥海山をつくる地層のなかに溜まることで、長い年月をかけて湧水や川をつくります。この水は日本海に流れ込み、やがて水蒸気となって再び鳥海山に降り注ぐ雨や雪の元になります。
鳥海山と飛島の文化的繋がり
鳥海山と飛島の文化的な繋がりも多く、その象徴的なものとしては鳥海山大物忌神社(遊佐町)と小物忌神社(飛島)の存在が挙げられます。両社は10世紀の宮中の書物『延喜式』にも記された古社で、大和朝廷が東北地方のヤマト化を進めた律令制の時代、鳥海山は国の辺境にあって国家を守護する神と崇められました。
飛島は鳥海山と対になる神を祀る海上の沖つ島であり、毎年7月14日に両社で行われている「火合わせ神事」は、互いの存在を確かめ合う古式神事です。

日本海航路と鳥海山・飛島
日本海航路が整備された江戸時代の酒田は「西の堺、東の酒田」とも言われるほど大いに賑わった湊でした。河口の港のため増水等による地形の変化や強風のため入港に困難を来すこともあり、酒田をめざした船は、沖合の飛島に「日和待ち」をしました。鳥海山麓の石脇湊、古雪湊、金浦湊、大澗湊なども、飛島の存在に恩恵を受けた湊でした。
鳥海山を航海や漁業、天候予知のヤマアテとして利用してきた漁民の信仰も厚く、豊漁と安全祈願の対象として鳥海山を信仰しています。
